2009年11月1日日曜日

焼津、MJ、沈まぬ太陽











先週の10月27日は、
静岡県焼津市での第24回国民文化祭「海の文化フェスティバル」に八戸せんべい汁研究所で参加した。
前日26日に焼津に到着し、街中を散策したが、やはり中心市街地の衰退がうら悲しい。
シャッター街が無策のまま放ったらかしというのは、感覚的にどこか間違っている。
地方の人々と暮らしは人事ではなく、いったい
どうなってしまったのだろう。











八戸で言えば八食のような「焼津さかなセンター」に
立ち寄り、観光案内所で食事場所には少し離れた「与作鮨」をすすめられた。
車で移動したものの駐車スペースに手間取るほどの地元の人気店。
写真の三色丼が680円!
 
レジ前に客が並んでいるのも納得した。

ゴジラ・サミットが開かれるほど、焼津と「ゴジラ」は縁が深い。
水爆を浴びて協力・巨大化したゴジラが誕生したのは1954年だが、その映画製作のきっかけは、
その同じ年の「ビキニ事件」。
アメリカの水爆実験によって焼津港のマグロ漁船「第5福竜丸」などが被爆した。














「海の文化フェスティバル」当日は、台風20号の影響でテントが飛ばされそうなほどに
風が強かった。
そんな悪天候でも多くの来場者があり、昼12時半過ぎに約1000食を完売した。
新商品発売や新事業を行うには、まず
静岡でモデルケースとして展開するのだと聞いたことがある(ホントの所は知りません)。
はたして静岡県で、八戸せんべい汁はどう受け止められているのかという興味が事前にあった。
始まってみると、ブースの前にはすぐに行列ができたし、並んだ地元の方たちと話すと、「すごく楽しみにしていた」という声も多くて、うれしかった。
水産業が盛んな港町という関係か、八戸出身者も多くて声をかけられた。
鮫出身シマワキさんは伝統的なカツオ一本釣り漁船「八挺櫓(はっちょうろ)」の復元と保存活動をしていた。
魚河岸シャツを買いそびれたのが心残りだったが、新幹線でその日の夜遅く八戸に戻った。


週末に、続けて2本の映画を観て、頭の中が80年代モードになっている。


熱心なマイケル・ジャクソンのファンではなかったが、
マイケルの復活公演のリハーサル映像を収めた「This is it!」を早速観た。
急死の報が入る前後から、なぜか無性に「Beat It」「Billie Jean」などが聴きたくなっていた。
近年のスキャンダル報道と、人工的に白人化したマイケル・ジャクソンに対して、必ずしも好印象を持っていなかったが、50歳とは思えないそのパフォーマンスは圧倒的に素晴らしい。
「まるで教会のようだ」と監督がつぶやくシーンがあるように、神がかりですらある。
2時間近く繰り返されるダンスと歌のリハーサルをスクリーンに観ながら、他のスーパースターを想起していた。
ジョン・レノンやマドンナ、なぜかイチロー。

そしてエルビス・プレスリー。
エルビスの最後のハワイ・コンサートは、ステージの休憩時間に妻から離婚話を迫られながら行われたものだったという(湯川れい子さんがラジオで言っていた、ずいぶん前に)。
キング・オブ・ポップスの華やかさと裏腹の寂しさをつい重ね合わせていた。


当時、世界最大のヒットセールスとなった
『スリラー』(Thriller)は、1982年12月1日に発売された。 その頃、僕はロックや音楽から離れた生活をしていたはずだが、アナログのレコードアルバムを買っている。
それから3年後の1985年8月12日18時56分、日本航空123便墜落事故が起きた。


日本航空123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行のジャンボジェット機が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
それを元に書き上げた山崎豊子の小説を映画化した『
沈まぬ太陽』は3時間余りの大作。
映画の出来がどうこうより、この映画のテーマはそのまま日航の再建が問題となっている日本の現在につながっている。

自分が送った搭乗券で息子家族全員を失った遺族の老人・坂口(宇津井健)は、四国遍路に出る。
エンディングで、恩地(渡辺謙)は「その絶望に比べれば、自分の身に起こった不条理など取るに足らないものだ」と左遷で再度赴任地となったアフリカに招待する手紙を送る。
日航ジャンボ機事故から、さらに四半世紀があっという間に過ぎた。
「一身にして二生を経る」とは明治維新に生きた福沢諭吉だが、今は二生どころか10年ごとに三生、四生を生きている気がしている。
その間に否応なく味わされたいくつかの理不尽なことも、やはり取るに足らないものだなと、涙ながら素直に思えた。



2009年10月21日水曜日

このひと月











早いものでB−1グランプリin横手からあっという間に一ヶ月。

それから、「第2回青森ご当地グルメinむつ」があり、
古牧温泉青森屋での「秋の大
収穫祭」があり、八戸中心市街地で今年最後の「ホコ天」に「B−1横手・八戸せんべい汁応援ありがとう」とイベントが続いた。
僕が参加しただけでこうだが、八戸せんべい汁研究所ではその他にも黒石や青森に出向いている。
どこも完売だったので、めでたしめでたし。















思い出したけれど、古牧温泉で青森県産品PRキャラクターの「決め手くん」のパフォーマンスは見事だった。

着ぐるみに入ったのは古牧のスタッフで、県からイベントに出演依頼も来るのだそうだ。












それから、防災月間ということで消防はしご車に乗って館鼻岸壁朝市の写真撮影も行った。ホントは高所恐怖症なんだけれども。

朝市と言えば、この前の日曜日には館鼻湊日曜朝市に大阪から
サバスが到着し、サバ出汁せんべい汁のお振る舞いなどあったのだが、初めて市議の藤川ゆりさんに会った(というより写真を撮らせてもらった)。

朝市には美人がよく似合う。

八戸には美人が多いと、椎名誠さんも笑福亭鶴瓶さんも書いたり言ったりしていた(はず)。



それから、編集を担当している
住まいの情報紙「陽だまり」(日刊青森建設工業新聞社)の第6号も発行し、テキスト制作に関わった「南部寺子屋はちのへ塾八戸ふるさと検定」も無事発刊、売れ行きもいいらしい。


それだから、ここ1ヶ月は忙しかった。

心を亡くすと書いて忙しい。

心を亡くさないと、心が痛いという場合もある。



最近の加藤和彦さんの自殺には驚いた。

大ファンというほどではなかったけれど、とても残念だった。
『あの素晴らしい愛を』は数少ないカラオケの持ち歌だったし、『悲しくてやりきれない』『青年は荒野をめざす』はタイトルを聞いただけで、ある時代の感覚がよみがえってくる。


けっしてその当時が良かったというのではない。
今につながる閉塞感が1960年代後半のその頃から漂い始めたという思いがある。
手つかずの自然は残ってはいたが、工業の高度産業化に伴って失われていくだろうという予感があった。
固有の地方性をなしくずしになくして地方都市は画一化され、家父長制が残っていた家庭は新たな家庭像を見出せないまま解体していく。
大事な何か—自然環境だったり、人間の素朴な感情やつながりだったり—を失う予感があって、その通りに失いながら半世紀近くを経て現在がある。
そういう過程を団塊の世代は身をもって体験してきたのだ。


ノルウェーの画家エドワルド・ムンクの作品に有名な『叫び』がある。

先日、テレビの美術番組で、夕暮れの橋に立っている正面の異様な人間は、自分が叫んでいるのではなくて、何処からか聞こえてきた叫びに怯えているのだと解説していた。

そういえばその通りだ。


現代に生きる僕たちもまた、毎日毎朝、悲惨な事故や事件のニュースを否応なく見せつけられている。

所在の知れない人々の叫びを理不尽に聞かされてているようなものだ。

新聞を読まない世代が増えているのは、単にインターネットの普及とか活字離れだけではないだろう。

歯車がきしむような日々の暮らしを連ねているのに、朝っぱらから、それを再確認させらるだけのニュースなど読みたくもないだろう。

テレビでは、不況で予算が少なくてすむというクイズ番組やお笑い番組ばかりが相も変わらず、けたたましい笑い声を上げている。

普通の神経をもつ人間なら、ウツになるのが当たり前の世の中だとさえ思う(フツーって何よって声が聞こえそうだが)。


そんな中で、何とかやっている人間はエライと思うべきだ。

あの素晴らしい愛はかえらず、悲しくてやりきれなくて、青年はめざすべき荒野を見失っている。

中高年もまた帰るべき場所を。

晩年の作品の評価は高くはないが、それでいいのだ、と僕は思う。

2009年9月23日水曜日

■B-1グランプリin横手、シルバーウィークの銀。













秋田県横手市で行われていた第4回B級ご当地グルメの祭典「B—1グランプリin横手」(9月19日・20日)で「八戸せんべい汁」は参加26団体中、3大会連続の2位となるシルバーグランプリを獲得した。
5日間の連休シルバーウィークに重なった今回は、本大会の翌21日に全10団体が出展しエキシビジョンが行われ、その終了後、大鍋ま汁"ガーZをトラックに積み込み八戸に戻る。

八戸に着いてから地元紙を開いてみると「せんべい汁またまた準V/B−1グランプリ」の見出し。

汁"研スタッフで現場を見てきた人間としては、「またまた」という表現はいかがなものかと鼻白む。

授章式では「実質的にはせんべい汁がグラ
ンプリですよね!」と祝ってくれる横手スタッフもいたのだ(お世辞でも)。
横手市かまくら館ホールで行われた閉会式の結果発表では、口には出さぬものの内心では3位以内の入賞すら危ぶんでいた。

前日の中間結果では、「横手やきそば」「津山ホルモンうどん」に次ぐ3位だった。

二日目はさらに「あいがけ神代カレー」の追い上げに勢いがあり、割り箸による投票所では箸が盛り上がって「すその水ギョーザ」の投票箱が動かせない—そんな情報が入ったりしていた。

今回はダメかなという思いがふくらんだ。
手をこまねいていたわけではない。
第1日目の結果を受けて上位に逆転進出するべく、深夜にわたる作戦会議(ただの飲み会とも言えるが)を行った。

来場者に「八戸せんべい汁」が目立つように幟を持って、中心市街地会場(横手地域局前)、秋田ふるさと村の2会場内を巡回する
こと。
ブースでは、行列のお客さんを待たせぬように、せんべ
い汁マエストロ・在家さんと森チーフが次々と鍋を仕込み、間を空けないようにすること。
二日目は初日をさらに上回って人出が早く、オープン10時だというのに朝8時には当日券受付に列が出来ている。

トリオ★ザ★ポンチョスのみか
ゃんを筆頭に幟をもってPR隊が出動する。
「せんべい汁アカデミー」と称して、紙芝
居を八戸工大二高美術コースの生徒たちに作ってもらいせんべい汁の歴史を紹介し、せんべいを三等分に割るベンツ割り体験をしてもらう。


■一体感を盛り上げたトリオ★ザ★ポンチョス
トリオ★ザ★ポンチョス(以下トリポン)の活躍は目覚ましく、B−1グランプリではなくてはならない存在だ。
9月18日の前夜祭では、『B−1グランプリ』
『好きだDear! 八戸せんべい汁』のテーマ曲で盛り上げ、オリジナル曲『この街と』では、「胸を張って言うよ いいトコも悪いトコも 全部全部 横手が大好き〜」と歌って関係者の感涙を誘った。

自然発生的に参加各団体が次々に登壇し、トリポンのバックで幟を振る。
まるで『We are the B-1』だ。
参加者に一体感が生まれた瞬間だった。
トリポンがステージに立てば、出店者がかけつけて幟を振ることが、この大会を通じて恒例となった。
その中でもみかちゃんは、ステージパフォ
ーマンスが終われば、せんべい汁アカデミーの演じ手となり、マイクを握って行列の呼び込みとなり、その合間にテレビ、ラジオのレポーター取材と休む間もない。
踊りの振り付けがある『好きだDear! 八戸せんべい汁』テーマソングでは、ステージ毎に踊る人が増えていく。
「ここで踊った人は、八戸せんべい汁に投票して下さい!」とトリポンうっちゃんが言う。

「いや、ウソです(笑)。各ブースで一所懸命おいしい料理を出していますから、皆さん、本当においしいと思った所に箸を投票して下さい。…迷った人は、せんべい汁に入れて下さい!(笑)」

その甲斐あって午後3時すぎに完売となり、あとは集計結果を待つばかりとなった。


授賞式のステージ上に「八戸せんべい汁」を含む「横手やきそば」「津山ホルモンうどん」の三者が上位に残された時、少なくとも3位以内入賞を果たした安堵感があった。
そして、「ブロン
ズグランプリは津山…」とコールされ3年連続の第2位が決定した時、会場の一番奥に待機したせんべい汁チームは歓喜しステージに向かった。
「このシルバーの色は僕たちにはゴールドです!」
木村聡事務局長は目に涙をにじませつつ、上ずった声で発したコメントはややベタな感じがしたけれど、それだけ率直な感慨がきっと胸につまったからなのだ。










■B-1厚木も、きっとすごくなる。
今大会は、八戸1万8千人、富士宮25万人、久留米20万3千人を超えて最高の来場者数を記録した。
来場者予想は、目標15万
としていたから、閉会式の大会発表において両日で計26万7千人(主催者発表)とアナウンスされると「おーっ」と場内がどよめいた。
スケールの大きさが成果の全てではないし、無論、高速道路のETC休日特別割引の効果は大きかっただろうが、この東北の地に全国各地から人が集まったということに一つの達成感がある。

地元のアルバイト学生は「だいたい横手で渋滞というのがありえないっすっよ」と言っていた。

このB−1グランプリは、単に食のイベントではなく、街おこしという目的がある。
富士宮でも、久留米でもB−1グランプリ会場の賑わいから一歩離れるとシャッター街が目立ち、地方都市の疲弊は痛々しい現実を見せつけられる。
だからこそ、久留米では「街にこんなに人が集まるなんて久しぶりだ」と嬉しそうに話してくれる屋台におばさんがいたし、前回グランプリを獲得した「厚木シロコロ・ホルモン」の中村代表も「B−1グランプリで優勝した後、厚木はすごいことになっています。確実に街は元気になっています」と言い、久留米の主催者の一人である松田氏も「久留米の町も出店が増えたり変わってきています」と報告したのだった。

イベント一つで全てが劇的に変わるほど現実は甘くはないだろうが、B−1グランプリを開催する前と後の変化は確かなことのように思う。

そもそも地元の運営スタッフの顔にも、疲れの奥に晴れがましい輝きが見える。
例えるのも何だが、アメリカの田舎町のウッドストックが野外ロックフェスティバルの聖地としてシンボライズされるように、横手もまたB−1グランプリの街として記憶されると思う。

閉会式では主催者が各出店団体へ幟一本を置いていってほしいとその提供を要請した。
今後、横手市でB−1グランプリの記念として展示するという。














次回の第5回は来年の同時期、9月18日(土)19日(日)神奈川県厚木市での開催決定がされている。

都市圏に近いこともあり、来場者は今回の倍近くにもなるだろうという
人気が高ずるにつれイベントが巨大化していくのは必然かもしれないが、ローカル感が魅力の「B級グルメ」のスケール拡大は、矛盾のようでもある。

ローカル色を保ちながら、大きなイベントを成功に導くスタイルをどう確立していくかは、次回の大きな課題だ。 また一方で、トリオ★ザ★ポンチョスが全国的なパフォーマーに飛躍する予感がある。
せめて振り付けをしっかり覚えて応援したい。


2009年9月13日日曜日

雨に負けぬ朝市











今日の朝早くは雨模様だったので、館鼻岸壁朝市もそんなに人出はないだろうなどと見くびっていたが、甘かった。

傘をさして買い物をするお客さんが普段と変わらずに訪れていた。
まったくこの朝市は雨に負けていない。
このエネルギーにはいつもながら驚く。
どこかの放送局も取材に入っていた。
「滋賀からの人から電話で問い合わせがあってさ。滋賀ってどこだっけと思ってさ(笑)。最近はるるぶとかガイドマップにも載ってるよ」と湊日曜朝市会の上村会長さん。

今、館鼻朝市のマップ作成に取り組んでいて、市民ガイドの瀬川さんにたまたま昨日の会合でその話をした。

そしたら、今朝も朝市のガイドに立っていた瀬川さんが僕を見かけて、「今、朝市のマップを作成中です! ご期待下さい」とマイクで喋ってプレッシャーをかけてくる。
なるべく早く作らなくちゃという気になる。


それで昨日の会合というのは、中心市街地活性化市民ワークショップ。
愛称「はっち」に決定した三日町の観光交流施設の開館にむけて市民ボランティアの集まりの2回目。
まちに「来る」「アピールする」「仕掛ける」「飾る」の4つの大枠のテーマに分かれ、実現できそうなアイディアを出し合って具体化していくという目的がある。
仕事柄、メディアに関心があるので僕は「アピールする」に参加した。
瀬川さんも同じグループで、八戸のPRのための意見を出し合っていると、すぐに「私みたいなおじさんじゃなくて藤川ゆりちゃんを」と言い出すのでおかしかった。
世界一の美人政治家の藤川市議を子どもの頃から知っているのだとか。

前回7月のワークショップでも感心したのだが、授業かクラブの課題で市民に八戸についてのインタビュー実施のドキュメンタリーを制作したという東高表現科の生徒たち。

自分たちの意見を持って(または持とうとして)いて、前向きで積極的だという印象を持った。
彼らのエネルギーを少しもらっても、きっと減ることはない。











西川美和監督の映画
「ディア・ドクター」もようやく観ることが出来て、その余韻も引きずっているが、もう少し胸に寝かせておこう。
演出も、また笑福亭鶴瓶さん、八千草薫さんをはじめとする俳優陣の演技も素晴らしかった。

2009年9月7日月曜日

B1グランプリ壮行会 1.










先週の土曜日は、三春屋の前
で八戸せんべい汁のB−1グランプリ壮行会。
小林眞市長も参加され、一番に応援メッセージを書いてくださった。
今年9月19日から秋田県横手市で開催されるB−1グランプリは、第1回の八戸から4回目となり、規模が年々大きくなる一方だ。


セレモニーでは、ま
汁"ガーZの大鍋蓋の贈呈式も行われた。
住まいの情報紙「陽だまり」の編集を担当しているので、その取材で知り合った建築組パックス代表の大西昇さんにお願いしたら快諾して作って寄贈してくれたのだ。
秋田で宮大工をしている息子さんがお盆休みに帰省した際に、製作してくれたとか。
県産のスギ材を釘なしで仕上げた立派なものだ。

元大工だという初老の男性が、しげしげと蓋や風よけの板を眺めて、「こういうスギ材はなかなか手に入らないんだ」と呟いていた。
大西さんは今、青森県の長期優良住宅モデル事業に取り組んでいて、当日どうしても来られなくなったので、急遽、スラリとした美人のお嬢さんが代理で出席。
美容にもせんべい汁!などと、どさくさ紛れにPRしたら結構本気にするかも。
(白いもち肌、アルデンテって…… いやらしくてスミマセン)
夏が戻ったような汗ばむほど陽気の中、せんべい汁のチャリティお振る舞いは盛況だった。
いよいよ再来週が、B−1グランプリ本番!


ところで先々週の8月最後の土曜日は、八戸せんべい汁研究所(略称汁"研=じるけん)恒例の種差キャンプの
予定だったが、選挙もあってか参加者が少なく、鮫町のディープな夜と企画変更となった。
地元では有名な「三島屋」からスナック「ハーバーライト」(木村事務局長は、必ずバー○ーライトと言い換える)に繰り出して、久々にカラオケを歌った。
秋に入ったからか「サルビアの花」などを歌ったら、またまた寂しくなってしまった。
ネギ背負ったK氏も歌っていたが、これは今ラブラブ状態のK氏が歌うような幸福な歌ではない!と強く抗議したい。

2009年8月24日月曜日

椎名誠さんに焼き鯖せんべい汁味噌味











それなりの天気だった
8月22日の土曜日は、「椎名誠と行く!! デジカメ片手の種差海岸 みちくさトレッキング2009」。

汁"研スタッフとして
白浜海水浴場での昼食会に提供する「焼き鯖せんべい汁味噌味」仕込みに午前中から参加する
と言っても、鯖の達人・谷口圭介さん八戸ニューシティホテル板長)が材料を仕込み、あとはせんべいを入れて煮込むだけ。
昨年参加した「なかちっぱ」さん、森君、福田君という汁"研の強力メンバーがいるので、配膳までは、ビーチのーファーやビキニの女子たちを、にやけ顔をおさえつつ「フムフム」と眺めているだけである。
昔は、というと年寄りじみているが、お盆を過ぎたら海に入るなと言われていたが、思ったよりは海水浴客が多い。


スタッフ含めて140名ほどの参加者が、昼食会場に到着したのが、
予定を過ぎた午後1時半。
「虎鯖棒すし」、イワシとひえ飯、キュウリの漬物、そして焼鯖せんべい汁を配る。
オリジナルTシャツにこの昼食が付いて、参加費2000円は、かなりお得なイベントではないか。
せんべいと焼鯖をちょうどいい具合にプラ丼に入れるのは、なかなかに難しい。
盛りが少なかったり具が少ないと、受け取るお客さんの目がビミョーに恨みがましく感ずるのは気の
せいか。
その時は「お代わりできますから」と言い訳がましく、付け加える。

隣の
「虎鯖棒すし」ブースの谷口板長夫人が手伝って下さって大いに助かった。
前日、椎名さんが八戸ニューシティホテルに「棒寿司」を食べに来たと言う。


の椎名さんは毎日新聞社から「ナマコのからえばり」という本を出している。
何で「ナマコ」なのかというと、「シイナマコト」の間の文字を取ったという。
さすれば小林眞市長はシマコ、などと不謹慎な連想をお許し下さい



ずっと以前になるが「今、最も男らしさを感じる人は?」と同期の女性に質問して、返ってきたのが椎名誠という作家の名前。
それ以来、椎名誠さんには、かすかな嫉妬心を抱いているのだ。


昼食終了後、種差に向かって出発する一行を見送って撤収。
隣のブース「虎鯖棒すし」は勿論、青森スタッフの堀江さんが持参した「キュウリの漬物」もおいしくて、それらをお土産に頂戴したのはナマコに幸運であった。

2009年8月15日土曜日

説明したって

館鼻の朝市に行って、いつもように鮫の山本さんの「えあー」のテントに顔を出し、花火大会の話をしていたら、オードブルの注文が入っていると言う。
高台にある家で家族が集まって見るのだとか。
2階にあるぼくの部屋から海も眺められるので、それならついでに一皿作ってもらえないかと頼んで、それで今夜は過ごすことに決めた。
それからボートアイランドで開催している「みなと博ランカイ」に、カメラをぶら下げてうろつき、シャーク号で港内周遊している頃にすっかり雨模様。
夕方5時に、店に大皿を受け取りに行く車中のBe FMで、花火大会の延期を聞いた。
でも、まぁ「えあー」さんの料理を食べられるのだから、それはそれでラッキーだった。


と書いてからすでに1週間。
私的に人生の大変があったので、その始末に追われてしまった。
何が大変かは、あまりに個人的だから記さないことにする。


WEBに名言として、ベストセラーになっている村上春樹さんの『1Q84』の「説明しなくてはわからないということは、説明してもわからないということだ」が引用掲載されていた。
思わずぼくはぱたりと好男子のように(講談師のシャレなんです)ひざを打ったのである。
同じことをぼくは、「話せば分かる人間というのは、話さなくても分かるし、話さなければ分からない者は話したって分からない」とくどくど、くどくどと言い続けてきた。
しかし納得してくれた人はほとんど少なかったし、ビミョーに「引かれて」いた。


先達の思想家として一方的に私淑している内田樹さんのブログ(内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/)にもクロスする内容のコラムがあった。

内田さんが繰り返し語る教育論において、学ぶ力とは、おそらく自分にとってこれから世の中を生きていく上で大事になるだろうこと、を感じとっていく力だと言う。
損得抜きで、親にも先生にも説明できないんだけど、どうしても学びたいと感じることがあったとしたら、それはすでに学びが始まっていて、その「機」をとらえることが学びの要であり、学ぶ力とは、自分にとって何が大事になるのかを、おそらく無意識の領域で感じ取って選択していく力だ。
学び始める人間は、どうして自分はこれを学ばなければならないのかを言うことができない。
「まだ知らないことを先駆的な仕方で知っている」という人間の潜在的な能力が社会に必要であり、それを身につけることが学習のキモである。
しかし、現代の教育システムでは、これを学べばいい大学に行って、いい就職ができて、安定的に幸せになって儲かりますよ、と買い物と同じように結論と行動が結びつくような損得勘定で誘導する。
すでに答えが出ているようなものは学びではなく計算であり、本来の学ぶ力を育むことはできない——と先生は言うのである。
(違っていたらゴメンナサイ。…というようなことを内田先生はよく書くので見習います)


世の中の多くのことは逆説的である。
画家は、自分が描く絵がどのようなものかは分からない。
小説家は、作品がどのような結末になるのか知らない。
しかし、はっきりと分かっているから創作を始めるとも言える。
リアルなイリュージョン(実体のある幻想)とでもいうべきものをつかみ取る能力が、生きていく上でとても大事なのだ。
そういえば、「大切なことは目に見えない」って星の王子様が言っていた。


そんなことを2009年のお盆に考えたり、思ったり。

2009年8月7日金曜日

老レスラーの居場所

パラダイムシフトのパラダイムとは「常識」ということで、今の世界の常識が変わるということだと、言っていたのは誰だったろう。
単純化することが全ていいとは思わないが(単純化することでこぼれ落ちる意味もあると思うから)、意味を大きくつかむ上では必要だと思う。
現代のように情報があふれかえっている世の中では特に。
その類で言えば、アイデンティティって「居場所」ということだと考えていた。

映画
「レスラー」ではミッキー・ロークが演ずる老レスラーが「おれの居場所はここだけだ」と命を賭して最後のリングに立つ。
心臓疾患でプロレス復帰に死を宣告されている老レスラーは、疎遠だった一人娘とつかの間、よりを戻すが、結局は完全に縁を切られてしまう。
顔見知りのストリッパーに抱く恋心も実らず、心のよりどころを
完全に失った彼が帰るところはリング以外のどこにもなかった。
娘からののしられて返す言葉もないミッキー・ロークの切なさは、娘一人をもつぼくには身にしみた。

人は誰もが居場所を求めてさまようが、というと昔のフォークソングの歌詞みたいだが、
閉塞的な今の日本、居場所のなさ(精神的、社会的)にあてどなくもがいている人は多いだろう。
おりしも酒井法子(あやうく酒井和歌子と書くところだった)さん失踪のニュースがあるし。
プレーボーイで二枚目俳優だったミッキー・ロークの傷だらけの老レスラー役、ストリッパー役のメリサ・トメイの文字通り体をはった演技に対し、どちらも主演助演のアカデミー賞にノミネートされた。
ストーリーは悲劇的だが、かすかな救いを感じるというのは、誰もが抱く深い孤独を表現してくれているからだろう。
映画の中で、ストリッパーが老レスラーに「パッション」(キリストの受難の映画)と同じねと、色っぽくレスラーに話していた。

2009年8月5日水曜日

長横町で右田さんと









三社大祭が昨日の後夜祭で終わった。

天気には恵まれなかったが、土日曜日に開催期間が重なったことなどで、人出は多かったような気がする。
お還りの3日の夜に、長横町恒例の「のんべ祭り」が行われた。
参加店の中から5軒を選んだ全12コースのうち一つを選び、スタンプをもらいながらハシゴする。
各店ドリンク1杯におつまみが付いて、回り終えたらくじ引き抽選。
これで参加費が3千円というのだから、横丁を知るには絶好のイベントなのである。
酒は苦手だけれど、仕事とあればやむを得まい—とスタッフ一同出かける。

屋台村からやぐら横丁、ゆりの木通り、ムーンプラザ、昭和通りと各店とも個性的だったし、サービスも良く楽しめた。
抽選会では、スタッフとっちが三等賞も当てたし、そこで帰っても十分面白かったのだけれど、他のスタッフが気になって仕方ないというれんさ街のバー「プリンス」に立ち寄った。
以前、取材で伺ったことのある、古くからあるオールドスタイルの酒場である。
カウンター席に腰掛けジンフィズなどを飲んでいるうち、隣の関西弁のお客さんに気がついた。
大阪の鯖寿司専門店「鯖や」の右田さんのご家族だった。
昨年10月に「八戸前沖サバ」ブランドの起ち上げ時に、右田さんにインタビューしたことがあった。
「八戸に来て初めての取材だった」とおっしゃっていたけど、その記事は結局いろいろあって出ていないのだが、その時、右田さんは「たまたま市場でためしにと買った八戸のサバのその脂の乗りに感動したもん」と言った。

その「感動した」という話に逆にぼくもものすごく感動した。

この前沖サバは、関西人をうならせるほどすごかったのかという今更ながらに思った。

末席に参加している八戸せんべい汁研究所も同じだけれど、あまりに日常的なので気づかない価値が自分たちの古里にはあるのだと、あらためて認識した。
あれから右田さんは、ほぼ月1で八戸を訪れて、必ずここに寄っているのだとか。

昭和感が満載のお店のムードと、まだ30歳代半ばの右田さんとの組み合わせは意外だったが、よくよく考えれば何も不思議なことではなかったのかもしれない。

横丁の魅力の一つは、やっぱり人との出会いの場だということだ。

2009年8月3日月曜日

ブログこわい

初めてというのは緊張するもので、今ちょっとブログこわい。
インターネットが普及し始めた当初、初めてのメールで送信ボタンを押す時が少し怖かった。
あまりにあっけなく、えっ、これでもう送られたの? と大したこともない内容に心配したり後悔したり。
インターネットショッピングもそう。
詐欺ではないか、
法外なぼったくりの請求が来るのではないかなど、無用の心配をしたものだ。
今は平気で書店で見つけにくい雑誌もamazonに注文している。
「ROCKN' ON JAPAN 忌野清志郎」など、そうやって手に入れた。
ケータイメールもそうだったしね。
そのうち慣れてくるんだろうから、
今の初(うぶ)な緊張感を味わっておきたい。

観光データ調査のため、ご挨拶がてら朝市の関係者からお話をうかがう機会が多い。
話題が横道にそれてしまうことがままあって、それはそれで大いに興味深く、朝市を開催するきっかけとか、運営上のトラブルやエピソードなど、ご本人の了解の上でだんだんに紹介していき
たい。

2009年7月31日金曜日

脳トレがわりにブログ

 三社大祭のお還りの日は雨模様で予定通り運行されるかちょっと心配だ。
 さて、編集組ユキパルのスタッフブログを書いていたら、話がテーマから逸れてしまいそうになったので、個人ブログを開設しておくことにした。
 最近、言葉もすんなり出てこなかったりするので、脳トレのエクササイズに利用したいと思っている。