2009年8月7日金曜日

老レスラーの居場所

パラダイムシフトのパラダイムとは「常識」ということで、今の世界の常識が変わるということだと、言っていたのは誰だったろう。
単純化することが全ていいとは思わないが(単純化することでこぼれ落ちる意味もあると思うから)、意味を大きくつかむ上では必要だと思う。
現代のように情報があふれかえっている世の中では特に。
その類で言えば、アイデンティティって「居場所」ということだと考えていた。

映画
「レスラー」ではミッキー・ロークが演ずる老レスラーが「おれの居場所はここだけだ」と命を賭して最後のリングに立つ。
心臓疾患でプロレス復帰に死を宣告されている老レスラーは、疎遠だった一人娘とつかの間、よりを戻すが、結局は完全に縁を切られてしまう。
顔見知りのストリッパーに抱く恋心も実らず、心のよりどころを
完全に失った彼が帰るところはリング以外のどこにもなかった。
娘からののしられて返す言葉もないミッキー・ロークの切なさは、娘一人をもつぼくには身にしみた。

人は誰もが居場所を求めてさまようが、というと昔のフォークソングの歌詞みたいだが、
閉塞的な今の日本、居場所のなさ(精神的、社会的)にあてどなくもがいている人は多いだろう。
おりしも酒井法子(あやうく酒井和歌子と書くところだった)さん失踪のニュースがあるし。
プレーボーイで二枚目俳優だったミッキー・ロークの傷だらけの老レスラー役、ストリッパー役のメリサ・トメイの文字通り体をはった演技に対し、どちらも主演助演のアカデミー賞にノミネートされた。
ストーリーは悲劇的だが、かすかな救いを感じるというのは、誰もが抱く深い孤独を表現してくれているからだろう。
映画の中で、ストリッパーが老レスラーに「パッション」(キリストの受難の映画)と同じねと、色っぽくレスラーに話していた。

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