2009年10月21日水曜日

このひと月











早いものでB−1グランプリin横手からあっという間に一ヶ月。

それから、「第2回青森ご当地グルメinむつ」があり、
古牧温泉青森屋での「秋の大
収穫祭」があり、八戸中心市街地で今年最後の「ホコ天」に「B−1横手・八戸せんべい汁応援ありがとう」とイベントが続いた。
僕が参加しただけでこうだが、八戸せんべい汁研究所ではその他にも黒石や青森に出向いている。
どこも完売だったので、めでたしめでたし。















思い出したけれど、古牧温泉で青森県産品PRキャラクターの「決め手くん」のパフォーマンスは見事だった。

着ぐるみに入ったのは古牧のスタッフで、県からイベントに出演依頼も来るのだそうだ。












それから、防災月間ということで消防はしご車に乗って館鼻岸壁朝市の写真撮影も行った。ホントは高所恐怖症なんだけれども。

朝市と言えば、この前の日曜日には館鼻湊日曜朝市に大阪から
サバスが到着し、サバ出汁せんべい汁のお振る舞いなどあったのだが、初めて市議の藤川ゆりさんに会った(というより写真を撮らせてもらった)。

朝市には美人がよく似合う。

八戸には美人が多いと、椎名誠さんも笑福亭鶴瓶さんも書いたり言ったりしていた(はず)。



それから、編集を担当している
住まいの情報紙「陽だまり」(日刊青森建設工業新聞社)の第6号も発行し、テキスト制作に関わった「南部寺子屋はちのへ塾八戸ふるさと検定」も無事発刊、売れ行きもいいらしい。


それだから、ここ1ヶ月は忙しかった。

心を亡くすと書いて忙しい。

心を亡くさないと、心が痛いという場合もある。



最近の加藤和彦さんの自殺には驚いた。

大ファンというほどではなかったけれど、とても残念だった。
『あの素晴らしい愛を』は数少ないカラオケの持ち歌だったし、『悲しくてやりきれない』『青年は荒野をめざす』はタイトルを聞いただけで、ある時代の感覚がよみがえってくる。


けっしてその当時が良かったというのではない。
今につながる閉塞感が1960年代後半のその頃から漂い始めたという思いがある。
手つかずの自然は残ってはいたが、工業の高度産業化に伴って失われていくだろうという予感があった。
固有の地方性をなしくずしになくして地方都市は画一化され、家父長制が残っていた家庭は新たな家庭像を見出せないまま解体していく。
大事な何か—自然環境だったり、人間の素朴な感情やつながりだったり—を失う予感があって、その通りに失いながら半世紀近くを経て現在がある。
そういう過程を団塊の世代は身をもって体験してきたのだ。


ノルウェーの画家エドワルド・ムンクの作品に有名な『叫び』がある。

先日、テレビの美術番組で、夕暮れの橋に立っている正面の異様な人間は、自分が叫んでいるのではなくて、何処からか聞こえてきた叫びに怯えているのだと解説していた。

そういえばその通りだ。


現代に生きる僕たちもまた、毎日毎朝、悲惨な事故や事件のニュースを否応なく見せつけられている。

所在の知れない人々の叫びを理不尽に聞かされてているようなものだ。

新聞を読まない世代が増えているのは、単にインターネットの普及とか活字離れだけではないだろう。

歯車がきしむような日々の暮らしを連ねているのに、朝っぱらから、それを再確認させらるだけのニュースなど読みたくもないだろう。

テレビでは、不況で予算が少なくてすむというクイズ番組やお笑い番組ばかりが相も変わらず、けたたましい笑い声を上げている。

普通の神経をもつ人間なら、ウツになるのが当たり前の世の中だとさえ思う(フツーって何よって声が聞こえそうだが)。


そんな中で、何とかやっている人間はエライと思うべきだ。

あの素晴らしい愛はかえらず、悲しくてやりきれなくて、青年はめざすべき荒野を見失っている。

中高年もまた帰るべき場所を。

晩年の作品の評価は高くはないが、それでいいのだ、と僕は思う。