2009年11月1日日曜日
焼津、MJ、沈まぬ太陽
先週の10月27日は、静岡県焼津市での第24回国民文化祭「海の文化フェスティバル」に八戸せんべい汁研究所で参加した。
前日26日に焼津に到着し、街中を散策したが、やはり中心市街地の衰退がうら悲しい。
シャッター街が無策のまま放ったらかしというのは、感覚的にどこか間違っている。
地方の人々と暮らしは人事ではなく、いったい どうなってしまったのだろう。
八戸で言えば八食のような「焼津さかなセンター」に立ち寄り、観光案内所で食事場所には少し離れた「与作鮨」をすすめられた。
車で移動したものの駐車スペースに手間取るほどの地元の人気店。
写真の三色丼が680円!
レジ前に客が並んでいるのも納得した。
ゴジラ・サミットが開かれるほど、焼津と「ゴジラ」は縁が深い。
水爆を浴びて協力・巨大化したゴジラが誕生したのは1954年だが、その映画製作のきっかけは、その同じ年の「ビキニ事件」。
アメリカの水爆実験によって焼津港のマグロ漁船「第5福竜丸」などが被爆した。
「海の文化フェスティバル」当日は、台風20号の影響でテントが飛ばされそうなほどに風が強かった。
そんな悪天候でも多くの来場者があり、昼12時半過ぎに約1000食を完売した。
新商品発売や新事業を行うには、まず静岡でモデルケースとして展開するのだと聞いたことがある(ホントの所は知りません)。
はたして静岡県で、八戸せんべい汁はどう受け止められているのかという興味が事前にあった。
始まってみると、ブースの前にはすぐに行列ができたし、並んだ地元の方たちと話すと、「すごく楽しみにしていた」という声も多くて、うれしかった。
水産業が盛んな港町という関係か、八戸出身者も多くて声をかけられた。
鮫出身のシマワキさんは、伝統的なカツオ一本釣り漁船「八挺櫓(はっちょうろ)」の復元と保存活動をしていた。
魚河岸シャツを買いそびれたのが心残りだったが、新幹線でその日の夜遅く八戸に戻った。
週末に、続けて2本の映画を観て、頭の中が80年代モードになっている。
熱心なマイケル・ジャクソンのファンではなかったが、マイケルの復活公演のリハーサル映像を収めた「This is it!」を早速観た。
急死の報が入る前後から、なぜか無性に「Beat It」「Billie Jean」などが聴きたくなっていた。
近年のスキャンダル報道と、人工的に白人化したマイケル・ジャクソンに対して、必ずしも好印象を持っていなかったが、50歳とは思えないそのパフォーマンスは圧倒的に素晴らしい。
「まるで教会のようだ」と監督がつぶやくシーンがあるように、神がかりですらある。
2時間近く繰り返されるダンスと歌のリハーサルをスクリーンに観ながら、他のスーパースターを想起していた。
ジョン・レノンやマドンナ、なぜかイチロー。
そしてエルビス・プレスリー。
エルビスの最後のハワイ・コンサートは、ステージの休憩時間に妻から離婚話を迫られながら行われたものだったという(湯川れい子さんがラジオで言っていた、ずいぶん前に)。
キング・オブ・ポップスの華やかさと裏腹の寂しさをつい重ね合わせていた。
当時、世界最大のヒットセールスとなった『スリラー』(Thriller)は、1982年12月1日に発売された。 その頃、僕はロックや音楽から離れた生活をしていたはずだが、アナログのレコードアルバムを買っている。
それから3年後の1985年8月12日18時56分、日本航空123便墜落事故が起きた。
日本航空123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行のジャンボジェット機が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
それを元に書き上げた山崎豊子の小説を映画化した『沈まぬ太陽』は3時間余りの大作。
映画の出来がどうこうより、この映画のテーマはそのまま日航の再建が問題となっている日本の現在につながっている。
自分が送った搭乗券で息子家族全員を失った遺族の老人・坂口(宇津井健)は、四国遍路に出る。
エンディングで、恩地(渡辺謙)は「その絶望に比べれば、自分の身に起こった不条理など取るに足らないものだ」と左遷で再度赴任地となったアフリカに招待する手紙を送る。
日航ジャンボ機事故から、さらに四半世紀があっという間に過ぎた。
「一身にして二生を経る」とは明治維新に生きた福沢諭吉だが、今は二生どころか10年ごとに三生、四生を生きている気がしている。
その間に否応なく味わされたいくつかの理不尽なことも、やはり取るに足らないものだなと、涙ながら素直に思えた。
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