2010年3月2日火曜日

冊子企画と、「インビクタス」と


気がつけば(いつも気がつくのが遅いのだが)、もう3月になっていて、前の投稿から6週間! 
めぐる季節が早すぎる。めまぐるしくめぐるのでめげる(単なるコトバ遊びです)。
その間、そうだ!
とことん青森2010 in 原宿表参道のイベントで、八戸せんべい汁研究所の出展(1月23日・24日)があり、「陽だまり」第8号の発行にこぎつけ、北のコナモン博覧会のイベントとして日本コナモン協会の熊谷真菜会長のお好み焼き講習会の手伝いとか、えんぶり囃しをBGMにウロウロ、パタパタしていた。
その間に観た映画「アバター」とか「インビクタス/負けざる者たち」「おとうと」について書こうとしているうちにもう3月だ。
バンクーバー・オリンピックが終わる時に、チリで大地震があって大津波警報が出て、ひな祭りだし(関係ないけど)、年度末だし。
何一つ定まることなく次が始まるというのは世の定めと、分かってはいるつもりなのだけれど。時間よ止まれ、と言って止まるわけもないように、もっとスローライフをと願っても、単純にそうはならないよなぁ。
準備が万端整ってから物事を始めることなど、まずないと思った方がいいという気がする。

と、こじつけのようなことを書いておいてと。
冊子を作ることを決めました。
A5で16ページ程度なので、まさしく小冊子ですが、小が取れるように頑張って、遅くとも4月初旬には発行したいと考えています。
どんなものになるかは、実際に現物で。
人の「コミュニケーション」に、ずっと関心をもってきましたが、21世紀の今は、言葉の発達、文字の発見、印刷の発明に次ぐ人類史の画期的な時代ではないのかと感じています。
携帯電話の普及は、人と人との個人的関係を直接的なものにしたし、インターネットもまた地理的条件を超えて情報が飛び交う空間を造っています。
そして、さらにTwitter。
このアイテムがどのような可能性をもつのか分かりませんが、何だかすごいことになっているな、という感じだけは伝わります。
かような電子メディアの奔流の中で紙メディア発行は、ちょっとどうなんだろうな、という躊躇がありました(一度、失敗しているし)。
でも、万全の準備をしてから物事がスタートするということは理想であっても、必ずしも現実的ではないという話(何かで読んだか、聞いたか)に動かされ、企画し準備しているところなんです。
ふぅ(って今からこれじゃ先が…)。

クリント・イーストウッド監督の最新作「インビクタス/負けざる者たち」のことを書こうとしたのだった。
同監督の映画は、「グラン・トリノ」にやられて以来、これまで余り好きでもなかった過去の作品まで再評価中なのだが、今回の作品はアパルトヘイト問題を抱えた南アフリカ共和国とネルソン・マンデラ元大統領の闘いを描いている。
奇をてらわない監督の演出、モーガン・フリーマン、マット・デイモンらの演技力は無論だが、ラグビーのワールドカップ優勝という実話を通して、重いテーマをエンターテインメントとしても一級の作品に仕上げたことに製作者の優れたセンスが感じられる。
冒頭から、脳裏をよぎっていた映画があった。
同じくアパルトヘイトの南アフリカをテーマにした「遠い夜明け」(1987)。
南アフリカの現実をほとんど知らずに観たが、当時受けた鮮烈な感動を沸々と思い出された。
アパルトヘイトに抗して27年間の獄中生活を送ったマンデラ元大統領は、「遠い夜明け」公開時にすでに投獄されており、さらに23年(!)という長い年月を孤独に闘ってきたということになる。
「インビクタス」に感動したのは、明けない夜はない、とかいうことではない。
自由を求めるが故の孤独。その希求の強さと忍耐。
「平和」日本で育ったぼくにはそのどちらもない、か、あったとしてもないと同じように貧弱なものだ。

「赦しは、自由への一番たいせつな第一歩だ」

映画の中のこの言葉がね、忘れてはいけないものとしてずっと胸に残ったままで、これが深くて重いんだよね(作品そのものは難しいわけじゃなくて面白いから、ぜひ観てね)。

2010年1月12日火曜日

八戸イチロー化大作戦

2010年に入って、もう2週間近く。
昨年は、「北のコナモン博覧会」(1月9日から始まった)ガイドブックの取材やら、三春屋催事場の「八戸せんべい汁研究所の写真パネル展」(予算の都合で大判の紙プリントになった)の作製やらで、予算なし、期間なしの仕事に追い立てられて終わった。

めでたさも中ぐらいなりおらが春(一茶)の心境は、むしろ望むところだけれど、中ぐらいも何も、めでたさそのものがない…薄い。
商店関係者には叱られるかも知らないけれど、元日営業というものが、そもそもまだ納得できていない。
せめて元日ぐらい、みんな休もうよ。

今年12月に東北新幹線新青森駅開業を控えている折、新聞などによると、県でも市でも観光対策などに力を注ぐとしている。
(理由もなしに、「ゴジラ」が上陸する時の音楽が頭の中で再生されている。新幹線はゴジラを運んでくるのか?)
朝市・銭湯・横丁を取材調査しているので、観光について考えさせられる機会も多いのだが、年の暮れになってふっと「八戸はイチローを見習うべきだ!」と、またまたいい加減なことに思い至った。

八戸は「観光の目玉がない」と多くの人が言う。
色んな観光資源はあるが、それぞれコンパクトで、これという決定打がない。
青森はねぶた、リンゴというイメージがはっきりしているが、八戸にはズバリこれだというものがない、と。
その通りだなと思うし、異論は全くない。

ただ元々がへそ曲がり根性なので、「観光には目玉が必要なのか?」と内心イラッともしていた。
観光の鼻とか口とかはどうすんだよ?
観光は鬼太郎のオヤジか?(ここまで来ると悪ノリだが)
「あの人、いい人なんだけどはっきりしなくて、ちょっとゴメンナサイ」と体よく引かれているようで、気に入らない。

「種差だけではお客は呼べない」というマスコミ関係者や旅行業者もいた。
必ずしもそうではないのでは、と思う。

檀一雄の『火宅の人』の中に、逗留していた蔦温泉で「明日は、種差海岸あたりまで足をのばして云々」(というような)一文があって、驚いたことがあった。
また、かれこれ20年近くも前になるだろうが、放送作家の永六輔さんが八戸を訪れた際に、「へぇ、八戸って安藤昌益がいたところなんだ! だったら八戸の人はもっと(PRに)がんばんなきゃネ」と送迎のタクシーの中で話されたことがあった(その後、永さんは天聖寺で講演を行っているし、また関係者の尽力で八戸に安藤昌益資料館が開館した)。

著名な作家やタレントさんがその価値を知っていても、こちらがそれを知らないと言うことが実際にあるのだ。
もちろん自分も含めて、自分たちの尺度で観光を考えたってダメなんだ。
第三者から見れば宝に見えて、地元では邪魔なゴミだったりするかも知らないじゃない。
ゴミというと語弊はあるが。
もっと丁寧に見直せば、八戸の自然的あるいは文化的資源の中に多くの観光価値が見えてくると思う。
何も大観光地をめざす必要はないのだし、観光そのものの捉え方を変える必要がある(ってすでに多くの方がおっしゃっている)。
でも本当にそうなのだ。

そこで冒頭のテーマだけれども、なぜ八戸はイチローをめざすべきか?
イチローは、野球選手のスター像を変えたと思うから。
9年間連続で200本安打という1世紀ぶりに大リーグの記録更新をしたイチローは、ホームランこそが野球という風潮が強い中で、新しい野球選手のスタイルを作ったと思う。

観光面において八戸はホームランバッターではないかも知れないが、コンパクトな魅力を数多く放つ多面的で多彩な観光都市としてあればいい—。
居酒屋のカウンターでそんなことを思い巡らせているうち、「八戸イチロー化大作戦」などと言い始め、「ハチノヘ、イチロー、オモロー!」などと酔言を吐いて顰蹙を買った今年のお正月。

2009年11月1日日曜日

焼津、MJ、沈まぬ太陽











先週の10月27日は、
静岡県焼津市での第24回国民文化祭「海の文化フェスティバル」に八戸せんべい汁研究所で参加した。
前日26日に焼津に到着し、街中を散策したが、やはり中心市街地の衰退がうら悲しい。
シャッター街が無策のまま放ったらかしというのは、感覚的にどこか間違っている。
地方の人々と暮らしは人事ではなく、いったい
どうなってしまったのだろう。











八戸で言えば八食のような「焼津さかなセンター」に
立ち寄り、観光案内所で食事場所には少し離れた「与作鮨」をすすめられた。
車で移動したものの駐車スペースに手間取るほどの地元の人気店。
写真の三色丼が680円!
 
レジ前に客が並んでいるのも納得した。

ゴジラ・サミットが開かれるほど、焼津と「ゴジラ」は縁が深い。
水爆を浴びて協力・巨大化したゴジラが誕生したのは1954年だが、その映画製作のきっかけは、
その同じ年の「ビキニ事件」。
アメリカの水爆実験によって焼津港のマグロ漁船「第5福竜丸」などが被爆した。














「海の文化フェスティバル」当日は、台風20号の影響でテントが飛ばされそうなほどに
風が強かった。
そんな悪天候でも多くの来場者があり、昼12時半過ぎに約1000食を完売した。
新商品発売や新事業を行うには、まず
静岡でモデルケースとして展開するのだと聞いたことがある(ホントの所は知りません)。
はたして静岡県で、八戸せんべい汁はどう受け止められているのかという興味が事前にあった。
始まってみると、ブースの前にはすぐに行列ができたし、並んだ地元の方たちと話すと、「すごく楽しみにしていた」という声も多くて、うれしかった。
水産業が盛んな港町という関係か、八戸出身者も多くて声をかけられた。
鮫出身シマワキさんは伝統的なカツオ一本釣り漁船「八挺櫓(はっちょうろ)」の復元と保存活動をしていた。
魚河岸シャツを買いそびれたのが心残りだったが、新幹線でその日の夜遅く八戸に戻った。


週末に、続けて2本の映画を観て、頭の中が80年代モードになっている。


熱心なマイケル・ジャクソンのファンではなかったが、
マイケルの復活公演のリハーサル映像を収めた「This is it!」を早速観た。
急死の報が入る前後から、なぜか無性に「Beat It」「Billie Jean」などが聴きたくなっていた。
近年のスキャンダル報道と、人工的に白人化したマイケル・ジャクソンに対して、必ずしも好印象を持っていなかったが、50歳とは思えないそのパフォーマンスは圧倒的に素晴らしい。
「まるで教会のようだ」と監督がつぶやくシーンがあるように、神がかりですらある。
2時間近く繰り返されるダンスと歌のリハーサルをスクリーンに観ながら、他のスーパースターを想起していた。
ジョン・レノンやマドンナ、なぜかイチロー。

そしてエルビス・プレスリー。
エルビスの最後のハワイ・コンサートは、ステージの休憩時間に妻から離婚話を迫られながら行われたものだったという(湯川れい子さんがラジオで言っていた、ずいぶん前に)。
キング・オブ・ポップスの華やかさと裏腹の寂しさをつい重ね合わせていた。


当時、世界最大のヒットセールスとなった
『スリラー』(Thriller)は、1982年12月1日に発売された。 その頃、僕はロックや音楽から離れた生活をしていたはずだが、アナログのレコードアルバムを買っている。
それから3年後の1985年8月12日18時56分、日本航空123便墜落事故が起きた。


日本航空123便、東京(羽田)発大阪(伊丹)行のジャンボジェット機が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。
それを元に書き上げた山崎豊子の小説を映画化した『
沈まぬ太陽』は3時間余りの大作。
映画の出来がどうこうより、この映画のテーマはそのまま日航の再建が問題となっている日本の現在につながっている。

自分が送った搭乗券で息子家族全員を失った遺族の老人・坂口(宇津井健)は、四国遍路に出る。
エンディングで、恩地(渡辺謙)は「その絶望に比べれば、自分の身に起こった不条理など取るに足らないものだ」と左遷で再度赴任地となったアフリカに招待する手紙を送る。
日航ジャンボ機事故から、さらに四半世紀があっという間に過ぎた。
「一身にして二生を経る」とは明治維新に生きた福沢諭吉だが、今は二生どころか10年ごとに三生、四生を生きている気がしている。
その間に否応なく味わされたいくつかの理不尽なことも、やはり取るに足らないものだなと、涙ながら素直に思えた。



2009年10月21日水曜日

このひと月











早いものでB−1グランプリin横手からあっという間に一ヶ月。

それから、「第2回青森ご当地グルメinむつ」があり、
古牧温泉青森屋での「秋の大
収穫祭」があり、八戸中心市街地で今年最後の「ホコ天」に「B−1横手・八戸せんべい汁応援ありがとう」とイベントが続いた。
僕が参加しただけでこうだが、八戸せんべい汁研究所ではその他にも黒石や青森に出向いている。
どこも完売だったので、めでたしめでたし。















思い出したけれど、古牧温泉で青森県産品PRキャラクターの「決め手くん」のパフォーマンスは見事だった。

着ぐるみに入ったのは古牧のスタッフで、県からイベントに出演依頼も来るのだそうだ。












それから、防災月間ということで消防はしご車に乗って館鼻岸壁朝市の写真撮影も行った。ホントは高所恐怖症なんだけれども。

朝市と言えば、この前の日曜日には館鼻湊日曜朝市に大阪から
サバスが到着し、サバ出汁せんべい汁のお振る舞いなどあったのだが、初めて市議の藤川ゆりさんに会った(というより写真を撮らせてもらった)。

朝市には美人がよく似合う。

八戸には美人が多いと、椎名誠さんも笑福亭鶴瓶さんも書いたり言ったりしていた(はず)。



それから、編集を担当している
住まいの情報紙「陽だまり」(日刊青森建設工業新聞社)の第6号も発行し、テキスト制作に関わった「南部寺子屋はちのへ塾八戸ふるさと検定」も無事発刊、売れ行きもいいらしい。


それだから、ここ1ヶ月は忙しかった。

心を亡くすと書いて忙しい。

心を亡くさないと、心が痛いという場合もある。



最近の加藤和彦さんの自殺には驚いた。

大ファンというほどではなかったけれど、とても残念だった。
『あの素晴らしい愛を』は数少ないカラオケの持ち歌だったし、『悲しくてやりきれない』『青年は荒野をめざす』はタイトルを聞いただけで、ある時代の感覚がよみがえってくる。


けっしてその当時が良かったというのではない。
今につながる閉塞感が1960年代後半のその頃から漂い始めたという思いがある。
手つかずの自然は残ってはいたが、工業の高度産業化に伴って失われていくだろうという予感があった。
固有の地方性をなしくずしになくして地方都市は画一化され、家父長制が残っていた家庭は新たな家庭像を見出せないまま解体していく。
大事な何か—自然環境だったり、人間の素朴な感情やつながりだったり—を失う予感があって、その通りに失いながら半世紀近くを経て現在がある。
そういう過程を団塊の世代は身をもって体験してきたのだ。


ノルウェーの画家エドワルド・ムンクの作品に有名な『叫び』がある。

先日、テレビの美術番組で、夕暮れの橋に立っている正面の異様な人間は、自分が叫んでいるのではなくて、何処からか聞こえてきた叫びに怯えているのだと解説していた。

そういえばその通りだ。


現代に生きる僕たちもまた、毎日毎朝、悲惨な事故や事件のニュースを否応なく見せつけられている。

所在の知れない人々の叫びを理不尽に聞かされてているようなものだ。

新聞を読まない世代が増えているのは、単にインターネットの普及とか活字離れだけではないだろう。

歯車がきしむような日々の暮らしを連ねているのに、朝っぱらから、それを再確認させらるだけのニュースなど読みたくもないだろう。

テレビでは、不況で予算が少なくてすむというクイズ番組やお笑い番組ばかりが相も変わらず、けたたましい笑い声を上げている。

普通の神経をもつ人間なら、ウツになるのが当たり前の世の中だとさえ思う(フツーって何よって声が聞こえそうだが)。


そんな中で、何とかやっている人間はエライと思うべきだ。

あの素晴らしい愛はかえらず、悲しくてやりきれなくて、青年はめざすべき荒野を見失っている。

中高年もまた帰るべき場所を。

晩年の作品の評価は高くはないが、それでいいのだ、と僕は思う。

2009年9月23日水曜日

■B-1グランプリin横手、シルバーウィークの銀。













秋田県横手市で行われていた第4回B級ご当地グルメの祭典「B—1グランプリin横手」(9月19日・20日)で「八戸せんべい汁」は参加26団体中、3大会連続の2位となるシルバーグランプリを獲得した。
5日間の連休シルバーウィークに重なった今回は、本大会の翌21日に全10団体が出展しエキシビジョンが行われ、その終了後、大鍋ま汁"ガーZをトラックに積み込み八戸に戻る。

八戸に着いてから地元紙を開いてみると「せんべい汁またまた準V/B−1グランプリ」の見出し。

汁"研スタッフで現場を見てきた人間としては、「またまた」という表現はいかがなものかと鼻白む。

授章式では「実質的にはせんべい汁がグラ
ンプリですよね!」と祝ってくれる横手スタッフもいたのだ(お世辞でも)。
横手市かまくら館ホールで行われた閉会式の結果発表では、口には出さぬものの内心では3位以内の入賞すら危ぶんでいた。

前日の中間結果では、「横手やきそば」「津山ホルモンうどん」に次ぐ3位だった。

二日目はさらに「あいがけ神代カレー」の追い上げに勢いがあり、割り箸による投票所では箸が盛り上がって「すその水ギョーザ」の投票箱が動かせない—そんな情報が入ったりしていた。

今回はダメかなという思いがふくらんだ。
手をこまねいていたわけではない。
第1日目の結果を受けて上位に逆転進出するべく、深夜にわたる作戦会議(ただの飲み会とも言えるが)を行った。

来場者に「八戸せんべい汁」が目立つように幟を持って、中心市街地会場(横手地域局前)、秋田ふるさと村の2会場内を巡回する
こと。
ブースでは、行列のお客さんを待たせぬように、せんべ
い汁マエストロ・在家さんと森チーフが次々と鍋を仕込み、間を空けないようにすること。
二日目は初日をさらに上回って人出が早く、オープン10時だというのに朝8時には当日券受付に列が出来ている。

トリオ★ザ★ポンチョスのみか
ゃんを筆頭に幟をもってPR隊が出動する。
「せんべい汁アカデミー」と称して、紙芝
居を八戸工大二高美術コースの生徒たちに作ってもらいせんべい汁の歴史を紹介し、せんべいを三等分に割るベンツ割り体験をしてもらう。


■一体感を盛り上げたトリオ★ザ★ポンチョス
トリオ★ザ★ポンチョス(以下トリポン)の活躍は目覚ましく、B−1グランプリではなくてはならない存在だ。
9月18日の前夜祭では、『B−1グランプリ』
『好きだDear! 八戸せんべい汁』のテーマ曲で盛り上げ、オリジナル曲『この街と』では、「胸を張って言うよ いいトコも悪いトコも 全部全部 横手が大好き〜」と歌って関係者の感涙を誘った。

自然発生的に参加各団体が次々に登壇し、トリポンのバックで幟を振る。
まるで『We are the B-1』だ。
参加者に一体感が生まれた瞬間だった。
トリポンがステージに立てば、出店者がかけつけて幟を振ることが、この大会を通じて恒例となった。
その中でもみかちゃんは、ステージパフォ
ーマンスが終われば、せんべい汁アカデミーの演じ手となり、マイクを握って行列の呼び込みとなり、その合間にテレビ、ラジオのレポーター取材と休む間もない。
踊りの振り付けがある『好きだDear! 八戸せんべい汁』テーマソングでは、ステージ毎に踊る人が増えていく。
「ここで踊った人は、八戸せんべい汁に投票して下さい!」とトリポンうっちゃんが言う。

「いや、ウソです(笑)。各ブースで一所懸命おいしい料理を出していますから、皆さん、本当においしいと思った所に箸を投票して下さい。…迷った人は、せんべい汁に入れて下さい!(笑)」

その甲斐あって午後3時すぎに完売となり、あとは集計結果を待つばかりとなった。


授賞式のステージ上に「八戸せんべい汁」を含む「横手やきそば」「津山ホルモンうどん」の三者が上位に残された時、少なくとも3位以内入賞を果たした安堵感があった。
そして、「ブロン
ズグランプリは津山…」とコールされ3年連続の第2位が決定した時、会場の一番奥に待機したせんべい汁チームは歓喜しステージに向かった。
「このシルバーの色は僕たちにはゴールドです!」
木村聡事務局長は目に涙をにじませつつ、上ずった声で発したコメントはややベタな感じがしたけれど、それだけ率直な感慨がきっと胸につまったからなのだ。










■B-1厚木も、きっとすごくなる。
今大会は、八戸1万8千人、富士宮25万人、久留米20万3千人を超えて最高の来場者数を記録した。
来場者予想は、目標15万
としていたから、閉会式の大会発表において両日で計26万7千人(主催者発表)とアナウンスされると「おーっ」と場内がどよめいた。
スケールの大きさが成果の全てではないし、無論、高速道路のETC休日特別割引の効果は大きかっただろうが、この東北の地に全国各地から人が集まったということに一つの達成感がある。

地元のアルバイト学生は「だいたい横手で渋滞というのがありえないっすっよ」と言っていた。

このB−1グランプリは、単に食のイベントではなく、街おこしという目的がある。
富士宮でも、久留米でもB−1グランプリ会場の賑わいから一歩離れるとシャッター街が目立ち、地方都市の疲弊は痛々しい現実を見せつけられる。
だからこそ、久留米では「街にこんなに人が集まるなんて久しぶりだ」と嬉しそうに話してくれる屋台におばさんがいたし、前回グランプリを獲得した「厚木シロコロ・ホルモン」の中村代表も「B−1グランプリで優勝した後、厚木はすごいことになっています。確実に街は元気になっています」と言い、久留米の主催者の一人である松田氏も「久留米の町も出店が増えたり変わってきています」と報告したのだった。

イベント一つで全てが劇的に変わるほど現実は甘くはないだろうが、B−1グランプリを開催する前と後の変化は確かなことのように思う。

そもそも地元の運営スタッフの顔にも、疲れの奥に晴れがましい輝きが見える。
例えるのも何だが、アメリカの田舎町のウッドストックが野外ロックフェスティバルの聖地としてシンボライズされるように、横手もまたB−1グランプリの街として記憶されると思う。

閉会式では主催者が各出店団体へ幟一本を置いていってほしいとその提供を要請した。
今後、横手市でB−1グランプリの記念として展示するという。














次回の第5回は来年の同時期、9月18日(土)19日(日)神奈川県厚木市での開催決定がされている。

都市圏に近いこともあり、来場者は今回の倍近くにもなるだろうという
人気が高ずるにつれイベントが巨大化していくのは必然かもしれないが、ローカル感が魅力の「B級グルメ」のスケール拡大は、矛盾のようでもある。

ローカル色を保ちながら、大きなイベントを成功に導くスタイルをどう確立していくかは、次回の大きな課題だ。 また一方で、トリオ★ザ★ポンチョスが全国的なパフォーマーに飛躍する予感がある。
せめて振り付けをしっかり覚えて応援したい。


2009年9月13日日曜日

雨に負けぬ朝市











今日の朝早くは雨模様だったので、館鼻岸壁朝市もそんなに人出はないだろうなどと見くびっていたが、甘かった。

傘をさして買い物をするお客さんが普段と変わらずに訪れていた。
まったくこの朝市は雨に負けていない。
このエネルギーにはいつもながら驚く。
どこかの放送局も取材に入っていた。
「滋賀からの人から電話で問い合わせがあってさ。滋賀ってどこだっけと思ってさ(笑)。最近はるるぶとかガイドマップにも載ってるよ」と湊日曜朝市会の上村会長さん。

今、館鼻朝市のマップ作成に取り組んでいて、市民ガイドの瀬川さんにたまたま昨日の会合でその話をした。

そしたら、今朝も朝市のガイドに立っていた瀬川さんが僕を見かけて、「今、朝市のマップを作成中です! ご期待下さい」とマイクで喋ってプレッシャーをかけてくる。
なるべく早く作らなくちゃという気になる。


それで昨日の会合というのは、中心市街地活性化市民ワークショップ。
愛称「はっち」に決定した三日町の観光交流施設の開館にむけて市民ボランティアの集まりの2回目。
まちに「来る」「アピールする」「仕掛ける」「飾る」の4つの大枠のテーマに分かれ、実現できそうなアイディアを出し合って具体化していくという目的がある。
仕事柄、メディアに関心があるので僕は「アピールする」に参加した。
瀬川さんも同じグループで、八戸のPRのための意見を出し合っていると、すぐに「私みたいなおじさんじゃなくて藤川ゆりちゃんを」と言い出すのでおかしかった。
世界一の美人政治家の藤川市議を子どもの頃から知っているのだとか。

前回7月のワークショップでも感心したのだが、授業かクラブの課題で市民に八戸についてのインタビュー実施のドキュメンタリーを制作したという東高表現科の生徒たち。

自分たちの意見を持って(または持とうとして)いて、前向きで積極的だという印象を持った。
彼らのエネルギーを少しもらっても、きっと減ることはない。











西川美和監督の映画
「ディア・ドクター」もようやく観ることが出来て、その余韻も引きずっているが、もう少し胸に寝かせておこう。
演出も、また笑福亭鶴瓶さん、八千草薫さんをはじめとする俳優陣の演技も素晴らしかった。

2009年9月7日月曜日

B1グランプリ壮行会 1.










先週の土曜日は、三春屋の前
で八戸せんべい汁のB−1グランプリ壮行会。
小林眞市長も参加され、一番に応援メッセージを書いてくださった。
今年9月19日から秋田県横手市で開催されるB−1グランプリは、第1回の八戸から4回目となり、規模が年々大きくなる一方だ。


セレモニーでは、ま
汁"ガーZの大鍋蓋の贈呈式も行われた。
住まいの情報紙「陽だまり」の編集を担当しているので、その取材で知り合った建築組パックス代表の大西昇さんにお願いしたら快諾して作って寄贈してくれたのだ。
秋田で宮大工をしている息子さんがお盆休みに帰省した際に、製作してくれたとか。
県産のスギ材を釘なしで仕上げた立派なものだ。

元大工だという初老の男性が、しげしげと蓋や風よけの板を眺めて、「こういうスギ材はなかなか手に入らないんだ」と呟いていた。
大西さんは今、青森県の長期優良住宅モデル事業に取り組んでいて、当日どうしても来られなくなったので、急遽、スラリとした美人のお嬢さんが代理で出席。
美容にもせんべい汁!などと、どさくさ紛れにPRしたら結構本気にするかも。
(白いもち肌、アルデンテって…… いやらしくてスミマセン)
夏が戻ったような汗ばむほど陽気の中、せんべい汁のチャリティお振る舞いは盛況だった。
いよいよ再来週が、B−1グランプリ本番!


ところで先々週の8月最後の土曜日は、八戸せんべい汁研究所(略称汁"研=じるけん)恒例の種差キャンプの
予定だったが、選挙もあってか参加者が少なく、鮫町のディープな夜と企画変更となった。
地元では有名な「三島屋」からスナック「ハーバーライト」(木村事務局長は、必ずバー○ーライトと言い換える)に繰り出して、久々にカラオケを歌った。
秋に入ったからか「サルビアの花」などを歌ったら、またまた寂しくなってしまった。
ネギ背負ったK氏も歌っていたが、これは今ラブラブ状態のK氏が歌うような幸福な歌ではない!と強く抗議したい。