面白きこともなき世を面白くするには、とりあえず、ダがつこうがつくまいが、シャレでも言っていなければ。
2012年1月1日日曜日
2012年
2012年が静かに幕を開けた。
年末は、各局でニュース回顧がオンエアされ、あらためて3月11日の東日本大震災の記憶が蘇ってきた。
そこで自覚したのが、思った以上に震災の影響が自分の心身に傷のように残っているということだ。
知らず知らずに心が弱っている気がする。
直接的な実害を被ってはいない自分でさえこうなのだから、被災地(八戸も含め)の方々の現状を想像すると、いっそう胸苦しい。
あれから一体、日本はどうなったんだろう?
あれだけ騒々しく菅が辞めれば好転すると言われた国会だが、野田新内閣になっても停滞著しい。
ヨーロッパでもアメリカでもどうやら事情は似たものらしいが、それでも国の転換期だと言われる中で、国の将来的なヴィジョンとメッセージを出し切れない日本の政治とは、どうなのかと思う。
与党も野党もこの国の議会政治も全くなっていない、なんて毒づいても、そういうテメェは何やってんのと、ブーメランのように自分にその毒が回り戻って、余計つらい。
希望なり、見通しなりがあれば結構人間はがんばっていけるのだが、それが見えない。
中国の作家・魯迅に「絶望は虚妄だ、希望がそうであるように!」という名高い言葉がある。
深い意味は分からないが、すぐに絶望も希望もするなということであろうか。
『故郷』という小説は、次のようにしめくくられる。
「希望は本来有というものでもなく、無というものでもない。これこそ地上の道のように、初めから道があるのではないが、歩く人が多くなると初めて道が出来る。」(魯迅『故郷』井上紅梅訳:青空文庫)
希望を持ちながら、自分が出来ることを一歩ずつ進めていきたいと、年頭に決意する次第だ。
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