2月に亡くなった母のことを書いた時に、スマトラ沖地震をモチーフとしたクリント・イーストウッド監督の映画『ヒアアフター』のことを書き添えた。
大津波に巻き込まれて九死に一生を得た女性ジャーナリストが体験した死後の世界という(受け取りようによってはオカルト的な内容だが決してそのようなことのない)優れた作品だった。
作品冒頭にCGによる大津波の再現シーンがあるのだが、そのリアリティは衝撃的だった。
その上映期間中に、あの3.11東日本大震災が起こった。
母の死からほぼ1ヶ月のことだった。
映画は急遽、上映中止となったが、それから幾度となく映画のCG映像を凌ぐ実際の大津波をテレビで見ることになったのだ。
父が亡くなったのが1994年10月。その年の暮れに三陸はるか沖地震、明くる1月に阪神淡路大震災が起きたのだった。
そう言えば、大正末期の生まれの父だが「オレは関東大震災があった年に生まれた」と、よく話していた。
東京大空襲では警察官として焼け跡の死体を片付けたとも聞いた。そんな大変な時代を自分は生きのびたのだ、と伝えたかったのだろう。
偶然とはいえ両親の死後に起こったそれぞれの大震災は、個人的な喪失感や感傷を押しつぶすほど圧倒的だった。
悲劇的状況であって、重なり合うようでもあり深く記憶に刻みつけられる。
3.11大震災のことをどう捉えればいいのか、いまだ分からない。
多くの人が発言もしているように、日本という国にとって大きな転換点であり、これから先どのような進路を選ぶかによって全く違う国の姿になるのだろうことは確かなのだと思う。
復旧か復興かというテーマに議論の余地があるのだろうか。
ある省庁で「復興ではなくて復旧だろう」と怒鳴られたという話もあるぐらいだから、「旧」と「興」の一字の違いは神経質にならざるをえない影響があるようだ。
国にとって地方とは人間の身体に例えれば、末梢神経とか毛細血管のようなものだと思う。
中央首都圏が中枢神経であるとしたら人間の身体の各部位に伸びている末梢神経が地方。
血流でいえば動脈と静脈の間をむすぶ最も細い血管、毛細血管が地方文化なのだ。
けれどもこれまでの日本は、中央一極集中で地方をおしなべて画一化し、結果的に地方文化が衰退してきた歴史があると思う(特に東北地方)。
指先に神経の通わぬ、血が行き届かぬ人間はどうなるか?
ゆっくりと壊死していく運命しかないのではなかろうか。
国の文化の源(オリジン)は、それぞれの地方に多様な豊かさをもって存在していたと思う。
中央と地方という対立的な捉え方もいやなのだが、地方は国の源流ではないか。
地方の源流から発掘した原石を洗練し、国の文化として世界に発信する機能を持つのが中央(都市)だったと思う。
しかし長年の一極集中型の国の在りようが地方を疲弊衰退させ、その文化的原石もまた回復不能なまでに荒廃した。
「原石」を「人間」と置き換えても、「農業」「文化」「芸術」としてもいいのかもしれない。
地方が崩壊すれば、いずれ中央首都圏も疲弊衰退するしかない。
つまり源流が涸れてしまい、掘るべき文化の鉱脈がなくなるわけだから。
神は細部に宿ると言うがごとく、一国の文化もまた本来地方に源があるのだと思う。
日本という国が今後、復興再生するとすれば、地方と地域の活性化しかない。
3.11前の東北地方は、健康体だったか?
言うまでもなく疲弊し、そこに暮らす人々も閉塞感に包まれていたと思う。
人間の身体で大手術が必要な時に、元通りの疲れて消耗した状態に戻すことは無意味であって、健康体(新たな産業振興)をめざすべきなのは当然のことではないか。
震災から3週間たった4月2日、岩手県野田村から普代村、田野畑村、宮古市田老区、山田町、大槌町から釜石市にかけて三陸海岸沿岸をたずねた。
テレビ映像で実感できなかったことは、太平洋三陸沿岸から千葉県に至る被災地のパースペクティブ感だった。
沿岸を車で走ると、津波で一面瓦礫となった光景がずっと続くのである。
延々、どこまでもどこまでも…。
海に浮かぶべき船体が山奥にあり、内地にあるべき家屋が港近くに傾いている…。
現実を超えるという意味でシュールリアリズムであり、日常というリアリティが崩れ去った気がした。
4月29日から5月1日にかけて、宮城県石巻市から南三陸町、登米町における八戸せんべい汁研究所の炊き出し支援にも参加した。
被災後、すでに2ヶ月近くになろうとしている避難所の生活を見聞きすると、つい無力感や偽善の気分に陥ったりするのだが、どういう形であっても関わるべきなのだと開き直って考えた。
最近、作家の故吉村昭さんの『三陸海岸大津波 』(文春文庫)を読んだ。
1970年に中央公論社から出版され、2004年以降、文春文庫版で再版、東日本大震災後に全国から注文が相次ぎ、増刷中という。この印税を、同じ作家であり妻の津村節子さんは被災地の岩手県田野畑村に全額寄付しているという。
明治29(1896)年の大津波から書き起こされた大津波の記録文学で、あらためてその類似に驚かされる。
津波の後は、高台に移転する住民が相次いだが、「津波の記憶がうすれるにつれて、逆もどりする傾向があった」とすでに指摘しているのが感慨深い。
吉村さんの記録にはなかった現代における新たな大問題は、「原発」。
まだ停電の最中に、ラジオから福島第一原子力発電所事故のニュースが入った時に、これはメルトダウンが起こるだろうと直感したのだが、決して望んだわけではないのに、はたしてそうなってしまった。
原発については推進派と反対派の断絶的な積年の対立があり、いまだ合意する方向を見出せない。
個人的には、極力早く段階的な脱原発を図り、再生可能なエネルギー開発に注力すべきだと思っている。
そうすると、今度は自然エネルギーに転換すると日本の経済は壊滅的な打撃を受けるとか、節電しなければ大停電が起こり原発事故以上の災害になるとか、およそ恫喝的な反論が待ち構える。
でも、そうかも知れないが、そうでないかも知れない。
どっちにしても根拠となるものがないのだ。
どちらがより安全か、あるいは正しいかは感覚的に判断するよりほかはない。
写真家・作家の藤原新也さんが、NHKの「原発問題」に関する討論会についてブログで憤っていた。
「原子力安全委員の奈良林直という人の発言で、フランスで数年前熱波が襲い、川の水が温かくなりすぎたために原子炉の稼動を一時的に停止せざるを得なかったということを対論者が述べると、奈良林は原発が止まったためにあのときフランスでは5万人の死者が出た、と電力がいかに大事かということを述べたのである。
この奈良林という人はフランスのことに言及しながらフランスのごく当たり前の市民生活というものを知らないか、日本人の大半の人がフランスの市民生活を知らないということを前提にウソをついているとしか思えない。
フランスにおいてクーラーを備えている一般家庭というのはほとんどないと言っていい。
そういう風土なのだ。あの時の死者というのは熱波という未曾有の自然現象にどのように対応してよいか分からなかったゆえの犠牲者なのである。
こういったウソが堂々とまかり通る討論番組のレベルや推して知るべし。」
というものである。
同じくフランスの一般家庭を実際に知らないので、安易に同調する資格はないのだが、こういうことはあるだろうと直感的に思う。
政治についても同様で、菅直人首相の退陣するとかしないとかが争点となっている。
それはどっちでもいいのだ、総理は誰だって。
被災地の援護対策がすみやかに進展するかどうかが問題なのであり、それについて実際的な方がいいと思うのだが、どちらがそうなのか、それがさっぱり分からない。
菅氏が有能なのか無能なのか分からない。
政権欲でしがみついているだけなのか、そうでないのか。
国会議員同士でもなければ、知り合いでも友だちでもなく、もちろん会ったこともない。
そういう人に対して、この人が悪くて、この人を辞めさせれば、うまくいくと言われてもなぁ。
菅氏が首相でなければいけないという主張はないのだが、菅氏が辞任して良くなる保証をまったく感じない。
菅氏に替わって「再生可能エネルギー法案」を押し通す人がいれば、その人でいいのだけれど、何故か、出てこない。
「エネルギー政策のような重要な問題は、国会で論議されるべきであって、選挙の争点にはなじまない」ということを某政党代表が発言したということだが、これはどういうことなのだろうか?
重要な問題は選挙民に決めさせるなということなのか?
国民投票で「脱原発」を選んだイタリア国民は、どういうことになるのか?
3.11以後、かように日本と日本人(日本に暮らす全ての人々)はあまたの問題をなげかけられている。
「我々は何処から来たのか、我々は何者か、我々は何処へ行くのか」とは、フランス人画家ポール・ゴーギャンの作品名だ。
調べたら1897年、明治三陸大津波の翌年に描かれていた。